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名古屋高等裁判所 昭和38年(う)518号 判決 1963年12月23日

控訴人 検察官

被告人 岡本武雄

弁護人 宮崎巌雄

検察官 平塚子之一

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官今関義雄作成名義の控訴趣意書の記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人宮崎巌雄作成名義の答弁書の記載のとおりであるから、いずれもここにこれを引用する。当裁判所の判断は、左のとおりである。

公訴事実は、

「被告人は、昭和三八年三月二二日午後六時一五分頃信号機の設置してある名古屋市中村区笹島町一丁目二二一番地先道路において、信号機の表示する信号に注意して運転すべき義務を怠り、過失により、右信号機が止まれの信号を表示しているのに気付かず、その信号に従わないで普通乗用自動車を運転して通行した」

という道路交通法第一一九条第二項第一項第一号第四条第二項に該当する過失信号無視の事実である(以下においては、道路交通法を単に法といい、道路交通法施行令を単に令という)。

そして控訴趣意の要旨は、結局において、

「原判決は、令第二条第一項の解釈適用を誤り、その結果、無罪の言渡をしたのであつて、その誤は、判決に影響を及ぼすことが明らかである」というにある。

それでまず法令適用の基礎となるべき本件の事実関係を明確にしよう。

原審および当審の取り調べたすべての証拠を総合すると、

一、本件の名古屋市中村区笹島町一丁目二二一番地先道路は、別紙図面のとおりであつて、国鉄名古屋駅前を南北に通ずる駅前通の車道(車道の幅員、約二八メートル。その両側に歩道がある。車道の中央に複線の電車軌道がある)とこれに同図面のとおり丁字形をなして東北方より斜行して交差する泥江町通の車道(車道の幅員、約一二メートル。その両側に歩道がある。電車軌道はない)との交差点であつて、その交差点の範囲は、同図面AFBCDEA各点を順次直線で連結した線にて囲まれた範囲内の車道部分である(この交差点の範囲については後記参照)。

一、右の交差点は、国鉄名古屋駅にすこぶる近接していて、車両等の交通がきわめてひん繁である関係上、その交差点における車両等の交通は、昭和三三年頃から次のとおり整理されて来た。すなわち、駅前通を北方より進行して交差点に入る車両の左折および泥江町通を東北方より進行して交差点に入る車両の右折は、いずれも禁止された。そして交差点の東北角附近A点に、駅前通を南方より進行して交差点に入り泥江町通に進行するために右折すると同時にその右折した車両が対面するように、赤色燈火の信号と黄色燈火の点滅型信号との二種類を順次表示する信号機が設置され、交差点の東南角B点に、駅前通を北方より進行して交差点に入る車両等に対面するように、青色燈火、黄色燈火、および赤色燈火の三種類を各表示する信号機が設置され、かつ交差点の西南角C点に、泥江町通を東北方より進行して交差点に入る車両に対面するように、青色燈火、黄色燈火および赤色燈火の三種類を各表示する信号機が設置された。右交差点には、叙上の三カ所以外には信号機がなく、したがつて駅前通を南方より進行して交差点に入る車両等(それには、交差点に入つた後も引き続きまつすぐに北進することを目的とする車両等と交差点に入つた後右折して泥江町通に進行することを目的とする車両との二種類がある)に対面する信号機は、設置されていなかつた。そしてA点信号機の信号が赤色燈火のときは、B点信号機の信号は、青色燈火または黄色燈火であり、同時にC点信号機の信号は、赤色燈火または黄色燈火である。次にA点信号機の信号が黄色燈火の点滅型のときは、B点信号機の信号は、赤色燈火であり、同時にC点信号機の信号は、青色燈火である。右のとおりの装置となつていた。なお、愛知県内において、叙上の方法で車両等の交通が整理されて来た交差点は、他に類例がなく前記の交差点だけであつたようである。

一、被告人は、昭和三八年三月二二日午後六時一五分頃普通乗用自動車を運転し、駅前通を南方より進行して来て右の交差点に入り、泥江町通に右折進行する目的で、その方向に自動車の進路を向けたまま駅前通中央線附近(正確にいえば、北行電車軌道附近)において一時停車をし、主として北方より南進する車両等の状況その他を注視したが、同交差点の交通整理の方法が上記のように他に類例のない独特のものであつた関係上、A点に信号機があつて赤色燈火となつていることに気付かず、その信号機が赤色燈火となつている時に、そのまま泥江町通に進行した。

という事実を認定することができる。

そこで控訴趣意の主要な論旨について判断しよう。

論旨は、「令第二条第一項の表にいわゆる交差点は、信号機によつて交通整理の行なわれている交差点を意味する。換言すれば、信号機によつて交通規制の行なわれている範囲を推称する。そして本件においては、信号機によつて交通規制の行なわれている範囲は、駅前通の車道と泥江町通の車道との交わる部分のうち駅前通中央線の東側の部分だけであるから、その東側の部分だけが、令第二条第一項の表にいわゆる交差点にあたる」旨を主張する。

しかしながら、法第二条第五号は、いうまでもなく、法の各条項(例、四条三四条等)の規定するすべての交差点に通ずる定義を一様に定めたものである。そして令にいわゆる交差点がすべて法にいわゆる交差点をさすことは、多言を要しないであろう。故に令第二条第一項の表にいわゆる交差点と法第三四条等にいわゆる交差点との間に、その意義範囲等につき、なんらの差異もない。令第二条第一項の表にいわゆる交差点の意義範囲等は、まさに法第二条第五号の規定するところに従つて定まるのである。そして法第二条第五号の規定と本件の現場の状況とを対比して考察すると、本件においては、駅前通の車道と泥江町通の車道とが丁字形をなして交わる部分すなわち別紙図面AFBCDEA各点を順次直線で連結した範囲内の車道部分が交差点である。その部分の全部が交差点であることは、疑がない。このことは、令第二条第一項の適用がある場合であると法第三四条等の適用がある場合であるとによつて差異を生じない。右の部分のうち駅前通中央線の東側の部分だけが交差点であるという論旨は、まつたく理由がない。

論旨は、更に、「令第二条第一項は、次の表の下欄に掲げる信号の意味は、それぞれ同表の上欄に掲げる信号を表示する信号機に対面する交通について表示されるものとする、と規定しているから、信号機に対面した車両等は、常にその信号の種類に従つて進行し、または停止する等の動作をする義務を負うのが原則である。したがつて本件のように車両等が、対面する信号機がなくして交差点に入つた後、右折して新たに信号機に対面するに至つた場合には、右の原則にもとづき、その新たに対面するに至つた信号機の表示する赤色燈火の信号に従つて交差点中心附近の駅前通中央線西側で停車すべき義務を負う」旨を主張する。

しかしながら、令第二条は、それ自体としては、信号機の信号に従うべき義務を規定したものではなく、単に信号機の表示する信号の種類、信号の表示方法、信号の意味等(この点については、更に後記参照)を規定しているにすぎない。いうまでもなく、信号機の信号に従うべき車両等の義務を規定しているのは、法第四条第二項であつて、同条項は、「車両等は、信号機の表示する信号に従わなければならない」と規定している。もつとも、同条項の規定する義務は、それだけでは抽象的で内容の未確定なものというのほかはない。法第四条第二項の規定と法第四条第四項およびこれにもとずく令第二条の各規定とによつて、信号機の信号に従うべき車両等の抽象的義務は、内容の確定した具体的義務となつている。したがつて車両等は、結局において、法第四条第二項にもとづき、令第二条の規定するところに従つて停止または進行等の行動をする義務を負うこととなる。しかるところ、令第二条特にその第一項の表の下欄すなわち「信号の意味」欄を点検すると、同条は、信号機の一定の信号の相手方(例、車両、路面電車、車両等または歩行者)、信号機の信号によつて交通整理をする場所(例、交差点または横断歩道)等をも具体的に明記して確定している。したがつて令第二条第一項は、「次の表の下欄に掲げる信号の意味は、それぞれ同表の上欄に掲げる信号を表示する信号機に対面する交通について表示されるものとする」と規定しているけれども、所論のように信号機に対面する車両等のすべてが常に必ず当該信号機の表示する一定の信号の相手方であるわけではない。一定の信号の相手方は、その信号機に対面する車両等であつて、しかも右条項の表の下欄に具体的に明記してあるものである。例えば、黄色燈火矢印(電車進行)の信号の相手方は、その信号機に対面する車両等のすべてではなく、その車両等のうちの路面電車だけである。そして叙上の信号の相手方は、法第四条第二項にもとづき、結局において、その信号の意味に従つて行動すべき信号遵守義務者である。そこで本件のような赤色燈火の信号が交差点の交通整理をする場合において、右信号に従い停止する義務のある車両等を審案するに、右表の赤色燈火(止まれ)の欄の下欄第二号に、「車両等は、交差点にあつては、その交差点の直前において停止しなければならないこと」と規定してあり、他には、なんらの成文もないから、右の場合、赤色燈火の信号に従つて停止する義務のある車両等は、その信号機に対面して交差点に向つて進行し交差点に進入しようとする車両等である。更にこれを要約すれば、信号機に対面しかつ交差点に入る直前の状態にある車両等である。このように限定された一定の車両等が右の場合の赤色燈火信号の相手方である。本件においてこれをみるに、本件自動車は、赤色燈火の信号を表示するA点信号機に対面することとなつたけれども、すでに交差点に入つており、交差点に入る直前の状態にあつたのではないから、この点において、右説示の停止する義務のある車両等にあたらない。そして令第二条にも、その他にも、本件のような信号機に対面することなくして交差点に入り交差点の中心附近で右折すると同時に赤色燈火の信号を表示する信号機に対面することとなつた自動車が、右の信号に従つて交差点の中心附近で停止すべき具体的義務のあることを規定した成文は、存在しない。そもそも法第一一九条第二項第一項第一号第四条第二項の過失信号無視罪は、結局において、信号に従うべき叙上の具体的義務に違反する罪である。しかるところ、この罪にあたるとして処罰するためには、罪刑法定主義の原則上、信号に従うべき具体的義務が成文によつて法定されていることを必要とするといわなければならない。これにつき成文がないのにもかかわらず、法第四条第二項令第二条等の諸規定を類推して右の具体的義務があると解釈し、その類推にもとづく具体的義務に違反したとして処罰することは、右の原則上許されないというべきである。本件においては、前記のように、被告人がA点信号機の表示する赤色燈火の信号に従つて交差点中心附近で停車すべき具体的義務の根拠となる成文を欠いている。したがつて被告人がA点信号機の赤色燈火の信号に従つて交差点中心附近で停車しなかつた本件所為は、右の過失信号無視罪を構成しない。故意犯たる信号無視罪も構成しないことは、もちろんである。右の論旨は、理由なきに帰する。

叙上説示のとおり、本件被告事件は、罪とならず、これと同趣意に出た原判決は、正当である。原判決に、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤はなく、控訴趣意は、すべて理由がない。

以上のとおりであつて、本件控訴は、理由がないので、刑訴法第三九六条により、これを棄却すべく、主文のとおり判決をする。

(裁判長裁判官 影山正雄 裁判官 吉田彰 裁判官 村上悦雄)

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